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**鎌倉ハイキングリトリートの記録**
2025年5月21日、鎌倉で開催されたマインドフルネス・ハイキングリトリートに参加しました。
このリトリートは、禅とマインドフルネスをテーマにしたイベントを開催する「ZEN2.0」という鎌倉発祥のコミュニティの主催であり、今回は、ベトナムの著名な禅僧ティク・ナット・ハン師の思想を受け継ぐプラムビレッジから来日した尼僧とともに、鎌倉の山を歩くという貴重な経験でした。
ヨガを続けていると、呼吸や瞑想といったボディワークを超えたものへの関心が自然と深まります。
多くの人が単なるエクササイズ以上の魅力を感じ、心身の静けさに爽快感を覚えることが、ヨガに没頭するきっかけとなるのでしょう。
瞑想と座禅がよく似ていることもあり、インド発祥のヨガを実践する中で、同じくインドで生まれた仏教への理解を深めたいと考えるヨガ愛好者は少なくありません。
結果として、このリトリートは素晴らしい体験となりました。
新緑の鎌倉は平和で静かであり、あらゆるものが調和し、美しく感じられました。
鎌倉は、源頼朝が幕府を築いた頃には決して平穏な土地ではなかったでしょう。
京都の華やかさとは対照的に、鎌倉は武骨な東国の武士たちの町でした。
その時代、貴族的な仏教とは異なり、庶民や武士にも受け入れられる新しい仏教が広まりました。
そして、鎌倉時代には臨済宗や曹洞宗の禅宗が導入されます。
禅と鎌倉、そしてマインドフルネス――頼朝が「いい国をつくろう」と考えたかは定かではありませんが、現在の鎌倉の穏やかさを目にしたならば、きっと満足したことでしょう。
ベトナムのティク・ナット・ハン師も臨済宗の僧侶でした。
今回のハイキングリトリートは建長寺からのスタートでしたが、建長寺が臨済宗の寺院であることを知り、「なるほど」と納得しました。
プラムビレッジで著名な日本人尼僧「シスター・チャイ」さんとも初めてお会いしました。
横浜出身の彼女は、幼少期に鎌倉を訪れた思い出を懐かしんでいました。
私自身も、三浦半島で育ったことをふと思い出し、チャイさんとの共通点を見出しました。
海の見える山の空気感が、確かに懐かしさを呼び起こします。
鎌倉の里山を約10㎞歩くという、健脚向けのハイキングでした。
しかし、道は踏みならされ、下草もなく、歩きやすいコースが整備されていました。
「自然に見えて実は人の手が入っている」と感じたことを、昼食時に参加者と共有しました。
すると、チャイさんは「私たちは皆、誰かが整備してくれた道を歩いている」と話し、「ティク・ナット・ハン師は『難しい経典を探して読まなくても、すでに良いものが準備されている』と言っていた」と紹介してくださいました。
仏教哲学は高度で抽象的な学問です。
以前、曹洞宗の高学歴僧侶でありテーラワーダ仏教の修行もされた方に、自分の考えを伝えたところ、「それ、どのくらいの深さで言っているの?」と一蹴されたことがありました。
その経験から、私は仏教の経典を読み込んでいるわけでもなく、その理解度では太刀打ちできないことを痛感しましたが、偉大な僧侶や仏教研究者たち、ティク・ナット・ハン師などのおかげで、難解なサンスクリット語の経典を自ら翻訳して読み解かなくても、すでにマインドフルに生きる実践が整えられているのだと理解できました。
ハイキングのゴール地点は、頼朝が戦死者を弔うために建てた寺の跡地でした。
そこには、彼に追い詰められた弟・義経も含まれていたといいます。
頼朝もまた人の子であったのだと、少し安心しました。
今は土台だけが残る寺の跡地も、静かな公園として人々に憩いの場を提供しています。そこで参加者同士で円座になり、温かい交流の時間を持ちました。
有名な曹洞宗僧侶・藤田一照さんも参加され、藤田さんのアイデアで、全員で手を数珠つなぎに合わせる合掌の写真を撮影しました。
「合掌は一人だけの世界だけど、皆で手を合わせる方がよい」と、藤田さんは微笑みながら話されていました。
その言葉から、かつてタイ・チェンマイの寺院で参加したヴィッパサナー瞑想の体験合宿を思い出しました。
そこで僧侶は「瞑想修行は個人的なものである」と明確に言われ、参加者同士の交流や意見交換はなく、各々が沈黙の中で修行に向き合う時間でした。
そして、師の言葉は印象的でした――「ヴィッパサナーの実践は、世界中どこにいてもできる。ここに戻ってこなくても、家で実践しなさい。」
その合宿は貴重な時間でしたが、「修行は個人的なものである」という言葉こそが、大乗仏教と南伝のテーラワーダ仏教との違いを示していると感じました。
また、ティク・ナット・ハン師の故郷ベトナムは、大乗仏教とテーラワーダ仏教の両方が交差する稀有な土地だったということも、チャイさんが話してくださいました。
数年前、私はフエを訪れました。
あるベトナム女性が「フエはスピリチュアルな町」と話していたことを思い出します。
確かに、静かで穏やかな雰囲気が漂っていました。
鎌倉での体験は、あまりにも美しく、心に深く刻まれるものでした。
「つわものどもが夢のあと」――芭蕉が義経の最後の地、平泉で詠んだこの句が、ふと浮かびました。
取り留めなく書いてしまいましたが、軽いボディワークと呼吸法、ハイジ・ロッジの「心身安定、リラクゼーションの為のヨガ」、ロッジ内で開催しております。
また、ロッジを飛び出し、八ヶ岳の森の中でのハイキング・ヨガリトリート「ピクニック・ヨガ」も、ぜひご参加くださいませ。
20240303微笑みと寛容の国タイ
空港近くのカプセルホテルで、カプセルハッチの隙間にカードキーが入り込んでしまい、フロントのスタッフの男性に助けを求める。
彼は、ちょっと待って、とやりかけの仕事を終わらせると、直ぐキーを救出してくれた。
早朝フライトでチェックアウトする時には、彼は眠そうな顔をしてあくびを噛み殺しながらも、愛想は良い。
Sleepy?と聞くと、マツコ・デラックスのように「眠いわよ!」という感じで、応じてくれる。
タイで気付いた事がある。
このホテルのスタッフ男性(※多分)の唇には、ピンクの口紅が引かれていた。
そしてもう一人、チェンマイの空港で航空会社の搭乗口スタッフの大柄な男性が、前髪をピンで斜めに留め、唇には赤い口紅だった事を思い出す。
LGBTQなど性別に寛容だと言われる、タイならではの光景だと思う。
しかも二人とも、シゴト熱心で応対は丁寧でジェントリー。
搭乗口の男性は、バンコク行きの飛行機について私が聞くと、「マダム♪」と呼びかけて、優しく教えてくれた。
少なくとも日本では、メイクした男性が堂々とカウンターで接客している(お酒を提供するお店のカウンターではなく、空港やホテルの一般受付カウンター)姿を見ることはない。
日本から性転換手術のためにタイ入国する人も多いらしい。
ベトナムとくらべると、タイの人が特に優しいとかの問題ではないような気がするのだが、なんとなくタイは居心地が良かった事も事実。
ホーチミンに向かいタイを去る時には、なんだか寂しさも感じて、自分でも驚いた。
タイが微笑みの国、穏やかという印象は、どこから来るのだろう。
過酷すぎる歴史を持つ周辺の東南アジアの国々に比べてずっと独立を保っていたから、平和な雰囲気と国民性なのか。
ベトナムの人が不親切なわけでは無いし、タイの人がめちゃくちゃ愛想が良いわけでは決してない。
ホーチミンは活気があり、じゃんじゃん高級レジデンスが建ち、街中が振動している感じだ。
実際、早朝からgrabバイクのブーンという音が聞こえてくる。
バンコクはもう少し落ち着いた印象で(都市交通も発達しているから音も静か)、チェンマイと言ったら、あの快適な気候とスピリチュアルな雰囲気に心を鷲掴みされてしまったように感じる。
タイでは、寺が多く僧侶を見かける事も多いからなのか、歩行者を見ると車の方が止まる。これは、歩行者用信号のわたる時間がめちゃめちゃ短いうえに、横断報道側が青でもバイクが飛んでくるベトナムとは、違う点だった。
これくらいしか、比較すると思い浮かばない。
寺は、ぴかぴかしている南方仏教建築で、日本人の私からすると馴染みはないのだけれど。
実は、南方仏教は個人的修行重視(ドイステープの瞑想センターでは実際に、瞑想はindividualな実践であると説明された)で戒律も結構厳しいのだが、北方仏教の禅宗の修行のほうが厳しそうな第一印象を受けるのは、気のせいだろうか。
でも、誤解を恐れず言えば、北方仏教は「(皆が入れる)大きな乗りもの=大乗」と自称し、誰でも悟れると他力を認め、何でもあり(念仏唱えるだけとか)、のようないい加減さも持つ。
そこが良いところでもあるのだが。
三蔵法師が命をかけてインドまで旅して取ってきた「般若心経」は、短いけれど量子力学的な、抽象的な概念を持つ高度な教えだと、常々感じ入る。
本来、思考や感情、認識や物質の有無も相対的なもので実体はなく、それら全てを空と呼ぶ。
これって、宇宙の事ではないか。
だから、何でもありなのだけど。
観自在菩薩が仏弟子の舎利子に説明しているという形式なのも、面白い設定だと思うし、これが大乗仏教の宗派を超えた基本経典なのも、スゴイ事だ。
でも、これが仏教を堕落させたと思う人もいて、南方仏教に改宗する日本人の僧侶もいる。
日本では、南方仏教と北方仏教が初めて出会ったのはごく最近で、マインドフルネスが南方仏教の修行法を基にしていることから、私のように興味を持つ人も増えている。
話がそれたが、それでもタイは、寛容で微笑みの国。
不思議な魅力を持つ国だ。
0809 CAN THO-HCMC
HCMC行きのFUTAバスの予約は、昼の12:00。
DALATの窓口で直接購入したので、165kvnd。
4時間程でHCMCのバスステーションに着く。
チェックアウト前の、カントーでの朝食は、バインミーと決めた。
調べて、マーケットの近くにある人気店に行く事にした。
目玉焼きとトマト煮込ハンバーグ的なおかずと一緒に食べる。
ここもTHEローカル店で、観光客は私一人だった。
バインミーのバゲットは、どこの店でもカリッと焼いてある。
ハード系パンが好きな私としては、嬉しい限り。
宿まで最後のカントーを散歩しようと、クルーズ船のある港の遊歩道を周り道したら、ホテルやレストランの私有地がどこまでも続いて曲がれず、相当大回りの長い散歩となった。
港沿いは、静かで美しい南国リゾートという雰囲気である。
HCMCでもそうだが、雑多なローカルな場所と、外国人観光客向けの、広々とした美しい景観の場所とのギャップがある。
ヴェトナム駐在の外国人たちの住むレジデンスと呼ばれる高級マンション。
レジデンス付近の広々とした美しい公園で外国人家庭の子どもが遊ぶ。
美しい場所は国民の為のものでなく、外向けの応接間、迎賓館といったところなのだろうか。
もちろん、観光客向けの店は価格も一流で、外国人たちは金払いが良く、商売するには良いお客さんであるが。
昔々の子どもの頃、家のシャンデリアが吊るしてあってソファやテレビがある部屋の事を居間ではなく、応接間と呼んでいた友人を思い出す。
家族が集う場でなく、高級品だったテレビやソファ、シャンデリアで飾り、お客をもてなす為の部屋を作りたかった親世代たち、それはもっと昔からの名残かもしれない。
自分たちの生活の質を考えられるようになって、応接間から居間リビングと変化したのだろう。
10時にチェックアウトをすると、キャリーバッグを転がして、カントー最後の時間を過ごす。
バスステーションに行くgrab taxiを呼ぶまでの1時間は、近くのcafeに行く事にした。
コーヒーを頼もうかと思ったら、アルコールメニューもあったので、tigerを飲み、タクシーを待つ。
ヴェトナムは、コーヒー豆の産地でもあり、植民地時代の仏文化の名残か、オシャレなcafeも多い。
日本はあまり出回っていないという、ヴェトナムコーヒーのロブスタ豆。
クセがある為、ヴェトナム土産には、世界中で飲まれるアラビカ豆を選ぶ事、というアドバイスをよく見るが、出回っていないからこそ、ロブスタ豆を飲んでみたい人も多いと思う。
※私の友人からは、ロブスタ豆ご指名でお土産リクエストがあった。
ロブスタ豆の方が価格も安いので、ヴェトナムコーヒーフィルターと共にお土産にするのも、個人的にはオススメである。
私もスーパーマーケットで買ったコーヒー粉を、ヴェトナムコーヒーフィルターで淹れて、毎朝飲む。練乳も必要なく、豆乳や牛乳でカフェオレにしている。
ココナツオイルフレーバーのものなどもあるが。。
バスは、もうお馴染みとなった2段ベッドの上段でくつろぐ。
途中、サービスエリアで休憩するのも、分かってきた。
今回は、バスの運転手さんが親切な人で、私が休憩時にバスを降りる時、サッと運転台横の貼り紙を指差した。
そこには、サービスエリアでは20分間停車し、休憩する、という説明が英語で書いてあった。
ヴェトナムで長距離バスに乗った体験談をネットで見たが、休憩停車のバスの発車時間がいつか分からず、置いていかれないかドキドキした、と書かれていた。
大体、トイレを済ませて、売店で何か買う位の時間はあるとは思ってはいたが、今回運転手さんが明確に教えてくれたので、ありがたかった。
THEローカルな場所は、AWAY感がハンパない。。
外国人には、言葉が通じないので、めんどくさそうに無愛想な人もいるのだが、このドライバーさんは、顔は怖かったが、行動はとても親切だ。
外国人だと見てとって、わざわざ声がけをしてくれたのだ。
貼り紙はどのバスにもあるのかもしれないが、貼っている事を指差して教えてくれたのは彼だけだった。
ありがとう!思わず言うと、彼も嬉しそうだった。
夕方には、HCMCに無事到着。
長旅は終わった。
バスステーションはHCMC郊外にある為、帰宅の為、路線バスに乗りたくてウロチョロしたのだが、バスステーションにいるのに、乗りたいバスは来なかった。
grab taxiで1区まで行き、帰ったらずっと食べようと心に決めていたHUYNH HOAのバインミーを買い、いつもの路線バスで、アパートに戻る。
07/25にここを出てから、日本、ダラット、カントーと巡り、約半月の旅。
バインミーにかぶりついて、ビールを飲んで眠る、幸せ。
0808 CAN THO
早朝6時前には、カントーバスステーションに到着したので、水上市場まで行く事にした。
船に乗らずとも、メコン川の市場の様子を見るだけでも良いと思っていたが、そこは地元の客引きの方が一枚上手だった。
grab taxiが、水上市場通りに入って行くと、バイクがずっと並走してきて、私が下りるまで付いてくる。
こっちだ、こっち、とタクシーのドライバーを案内し、ドライバーも狭い市場通りの一方通行では行くしかない。
いつものように観光客を、早朝マーケット船に案内するつもりらしい。
もはや、実際に地元の人たちがメコン川で市場の取引をしているというより、客を船に乗せて雰囲気を味わせる観光クルーズ、カントーの一大観光目玉となっている。
200kvndと高値で観光価格だが(事前に調べたら半額のクルーズもあった)、予約無しで来て、何もしなくても連れて行ってくれ、コレをわざわざ見に来たのなら、選択の余地は無い。
この人達も生活が掛かっているのだし、見せてもらおう。
早朝の涼しいメコン川の風を感じて、舟に乗り一回り。
小舟が売りにくる様子を見るのだが、どの舟も売っているのは、クーラーボックスに入ったペットボトル飲料と、果物1種類だけ。
ローカルフードの朝食を買って食べるという光景は、見られない。
まあ、舟でわざわざ料理を作るのも大変だし、衛生的でもない、陸地の市場通りで食べれば良い訳で、今ではTHE観光クルーズなのだ。
土産物店で一時休憩と下ろされひと回りするが、買いたいものはなく、港に戻る。
とりあえずメコン川の水上市場を見た、観光船で。
という感想だったが、それもまた良しとしよう。
お腹も空いたので、どこかでできれば、カントーらしいローカルな朝食をと思って、市場通りをバス通りに向かい歩く。
路線バスが走っているはずだが、バス停らしきものも見当たらない。
キャリーバッグも重く感じる。
地図上ではバス停があるはずの場所にあった、半分戸外のローカル食堂に入る事にした。
スペアリブを焼いていて美味しそうだ。
焼いている女性にコレを1つ欲しいと言うと、席に座れと案内される。
座っている人たちは、スペアリブ乗っけご飯を食べているので、同じものを、と指差して注文する。
お店の女性に、バスに乗りたい、バス停はどこか、と聞くと、英語に戸惑った様子で、孫なのか客なのか若い男性を指名して、代わりに聞いてくれ、と言う。
男性は、バス停?という感じだったが、何やら誰かと話して、ついて来いという様子。
注文してしまったので食べ終わってから、と説明すると、分かったと頷く。
今思えば、この男性は店の人ではなく、単なる客だったらしく、食べ終わるまで待ってくれるのは親切である。
スペアリブご飯、とても美味しく45kvnd。
バス停があるはずの食堂にいる間、オレンジ色のバスがやって来て停まったのを見て、コレだ、と思ったのだが、親切な若い男性はなぜか、あれは違う、と言う。
彼は、私をカントー市内まで、自分の車で送ってくれようとしていた。
ちょうど彼は、お祖母さんとおじさんをカントーの銀行まで送って行くところだったのだ。
ニュージーランドから戻って来た二人の運転手として、食堂で朝ご飯を食べていたようで、ついでと言う事と、外国人の私にも興味津々で、車で送ることにしたらしい。
まず後部座席のお祖母さんとおじさんにNice to meet youと挨拶して、英語でのやり取りをしたいという強い思いがある彼と、私は拙い英語とGoogle翻訳で、話をしながらドライブがスタートする。
どこから来たのか、何しに行くのか、お馴染みの質問をたくさん受ける。
彼は、たったの20歳だった。
大きな三菱4WDXPANDERを運転し、今日はお祖母さんの運転手以外の仕事はないらしく、お祖母さんを銀行に送ったら観光案内をしてあげると、言った。
もちろん、お祖母さんと一緒に下りると断るが、お祖母さんが銀行の用事が終わるまでの2時間はフリータイムだから、と彼は譲らない
ここは、彼の親切に甘える事にした。
彼の名前は聞いたのだが、ヴェトナムの名前は難しく覚えられなかった。
phoneg、フォン?だったかもしれない。
地元のお金持ちのお坊ちゃんなのだろう。
まだバイクが実用車、四輪車は高級品の国で、20歳でデカい日本車を転がして、外国から帰省した身内の運転手がその日のお仕事で、学生だとも言わなかった。
行きたいところは?と聞かれるも、「Acient House」(映画の撮影に使われたフランス植民地時代の洋風大邸宅)は、遠い、と却下され、ほぼ、彼のオススメスポットを車で回遊した。
寺院のような博物館のような歴史的建物とメコン川、民族楽器のドラムの様な形のドームがある博物館、昼間はSLOWLYだと言うナイトマーケット付近。
中華風の寺院の中には、何とお懐かしい、久しぶりにお会いする「関羽」さまが!
よく横浜中華街の西門付近のお宅前を通りかかっていた私は、「I know him!」思わず笑ってしまい、ガイドの男性に伝えると、「Simirar Culture」だからと言う。
ここはヴェトナム南部だが、それでもヴェトナムは中国の影響を強く受ける東アジア文化圏だという事だ。
ただ、彼の話には、「カンブリア」と発音しているように聞こえた、と「クメール」という言葉が、よく出てきて、「カンボジア」国境が近い事を改めて感じる。
彼の話に依ると、カンブリアとはクメールの事で、このカントーにはカンボジアの寺院もあり、カンボジア人も多い、彼の付き合っている彼女は、カンブリアに家族で住んでいる、と。
その彼女がカンボジア人なのかベトナム人なのかは、よく分からない。
彼女の話が突然出てきたのは、私がホーチミンで子どもに関わる仕事をしていると、話した為だ。
彼女はカンボジアの幼稚園で仕事をしている、クメール語、ベトナム語、英語のマルチリンガルであると言い、なぜかドライブ中に電話がスピーカーphoneで繋がっていて、ガイド中、分からなくなると英語を彼女に教えてもらっていた。
彼は、なぜか中国人はfriendlyではないと言い、私の事は韓国人かと思った、と言う。
今回の旅行で、アジア人観光客は本当に多かったが、日本人には会わなかったので、韓国人だと思われるのは、その通りだと思う。
彼の中国人に対する感情の原因は良く分からないし、聞き流すしかない。
ドラム型ドーム内には、遺跡発掘現場のような写真と高床式住居のレプリカが飾ってある。
高床式住居は日本史の教科書に載っているのにそっくりで、古代の日本人の一派は、南方からやって来たのかもしれないと、繋がりを感じる。
彼の選んだスポットについて行き、そんな趣味がないのに、自分の写る写真をたくさん撮ってもらう。
この写真群を見ると、この日のカントーを思い出すだろう。笑える。
そろそろこのツアーを終了して車を下りたくなったところに、彼のお祖母さんが用事が終わったと、彼を電話で呼び戻してくれたので、ホテルまで送ってもらい、カントーの弾丸観光は終了した。
チェックイン後、部屋でカントー市内の観光スポットを見ていると、ガイドの彼が連れて行ってくれたところが多いと気づき、改めて感謝する。
メコン川の水上市場も見たので、他に行きたいのはAcient Houseだった。
ここは美しい建物のようで、ぜひ行きたかったので、路線バスで行けそうだと調べる。
朝もガッツリだったし、夜はナイトマーケットのローカルフードを食べたいから、お腹は空いたが、昼は軽めに済ませたいと思いながら、バス停を目指し歩いても、なぜか地図上に存在するはずのバス停の見当たらないカントー。
暑さでバテそうになり、Vincome centerのHighlands Coffeeで休憩。
スリムで小さなバインミーとコーヒーを食べながら、grab bikeを呼ぶ。
Acient Houseは、地元の名士の大邸宅である仏植民地風の歴史的な建築物で、一般公開もされている。
行けば、花がテラスにも庭園にも咲き誇り、静かで美しい建物である。
室内にはヴェトナム風の祭壇的な物もあるのだが、それも含めて植民地風のエキゾチックな魅力がある。
欧米人観光客も何組か居て、仏映画「ラ・マン」の撮影セットだったらしいので、それを観に来ているようだった。
拝観料は40kvnd位だった。
しばらくここでのんびりとして、その後、徒歩圏の寺院と村役場跡に行ってみた。
門をくぐった瞬間、ここ来た事あるなー、しかも今朝。。とdejave?
水上市場の食堂で出会った三菱エキスパンダーのガイドの男性が連れてきてくれた、関羽のいる寺院だった。
Acient House、近くだったのか。。
村役場の近くの禅宗のお寺をチラ見して、カントー市内の方向へ歩きながらバス停を探す。
結局、行きにgrab bikeを呼んだVincome centerまで徒歩で戻って来たところへ、オレンジ色のバスがやって来て停まる。
このオレンジ色のバスが、カントー市内の路線バス。
朝、水上市場近くの食堂にもやって来ていたではないか!
三菱エキスパンダーの男性は、どうしても私を送りたかったのか、それともバスに乗った事のない生活者だったのか、今となってはよく分からない。
「遠い」からと却下されたAcient Houseが、ガイドしてくれたスポット近くにあった事にも苦笑いだったが、あのエキスパンダーのガイドさんの親切心は感じたし、ここは一人でゆっくり見た方が楽しい。
そして、三菱エキスパンダーツアーで、私が出したのは、駐車料金200kvndだけだった。
コレも高いか安いかは考えまい、私には出すことが出来たし、ハプニングもまた思い出としては面白く、彼の親切心への寄付でもある。
バスでホテル近くまで戻り、シャワー浴びてナイトマーケットに備える。
ローカルフードの美味しい物を食べて、ビールでも飲もう。
カントーナイトマーケットは、ド派手なネオンがキラキラ輝いている屋台村だった。
半分戸外、プラスチック椅子の屋台には入るには勇気が要るので、一周した後、新しそうな店舗形式のファーストフードのような居酒屋なような、ローカルフードを提供する店に入った。
練物の串揚げ的なものと、せんべいのような形に米をまとめて揚げて海苔を巻いたコム何とか、Tigerビールを注文する。
揚げ物をお腹いっぱい食べ、ほろ酔いで、公園のクルーズ船を眺めてからホテルへ戻る。
早朝にカントーに着いてから、弾丸で我ながら、ある意味ミーハーな観光を楽しんだと思う。
次は、もう少しディープなメコンデルタの旅をしよう、そしてカンボジアまで。
そして、それとは別に、週末気軽に行けそうなHCMCからの日帰りメコン川クルーズも、行ってみよう。
明日は、昼のバスでHCMCに戻る。
0807-0808 DALAT -CAN THO
しばらく寝ていたが、夜中にサービスエリアのようなところへ到着したのがわかった。
皆、休憩に降りて行く。
トイレに行くために、私も下りる。
見ると、同じ形と色のFUTAバスが何台も横に停まっている。
コレは、チケットのバスナンバーを確認しないと、間違えそうである。
サービスエリア自体は新しそうだし、トイレもまあまあキレイな方だ。
ヴェトナム国内に、こんな場所があるとは。
外国人には、あまり知られていない世界なのだろう。
道路は、暗くて直ぐ眠ったので見えなかったけれど、ダラットーカントー間は450kmを超える距離だ。
フードコートも売店も完備で、24時間営業のようだ。
値段もローカル。
明るく賑わっている。
Google mapで場所を確認する。
出発から3時間を過ぎた23時過ぎ。
有料道路上にいて、まだ半分は来ていない、ダラットと同じラムドン省のマダグイ・フォレストシティMadagui Forestcityというリゾートの近くだった。
この後、朝方の4時ごろもう一度サービスエリアで停まり、朝6時前に、カントーに到着した。
もう一箇所は、カントーに程近いメコンデルタの町、カイベーのサービスエリアである事が分かった。