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20240303微笑みと寛容の国タイ
空港近くのカプセルホテルで、カプセルハッチの隙間にカードキーが入り込んでしまい、フロントのスタッフの男性に助けを求める。
彼は、ちょっと待って、とやりかけの仕事を終わらせると、直ぐキーを救出してくれた。
早朝フライトでチェックアウトする時には、彼は眠そうな顔をしてあくびを噛み殺しながらも、愛想は良い。
Sleepy?と聞くと、マツコ・デラックスのように「眠いわよ!」という感じで、応じてくれる。
タイで気付いた事がある。
このホテルのスタッフ男性(※多分)の唇には、ピンクの口紅が引かれていた。
そしてもう一人、チェンマイの空港で航空会社の搭乗口スタッフの大柄な男性が、前髪をピンで斜めに留め、唇には赤い口紅だった事を思い出す。
LGBTQなど性別に寛容だと言われる、タイならではの光景だと思う。
しかも二人とも、シゴト熱心で応対は丁寧でジェントリー。
搭乗口の男性は、バンコク行きの飛行機について私が聞くと、「マダム♪」と呼びかけて、優しく教えてくれた。
少なくとも日本では、メイクした男性が堂々とカウンターで接客している(お酒を提供するお店のカウンターではなく、空港やホテルの一般受付カウンター)姿を見ることはない。
日本から性転換手術のためにタイ入国する人も多いらしい。
ベトナムとくらべると、タイの人が特に優しいとかの問題ではないような気がするのだが、なんとなくタイは居心地が良かった事も事実。
ホーチミンに向かいタイを去る時には、なんだか寂しさも感じて、自分でも驚いた。
タイが微笑みの国、穏やかという印象は、どこから来るのだろう。
過酷すぎる歴史を持つ周辺の東南アジアの国々に比べてずっと独立を保っていたから、平和な雰囲気と国民性なのか。
ベトナムの人が不親切なわけでは無いし、タイの人がめちゃくちゃ愛想が良いわけでは決してない。
ホーチミンは活気があり、じゃんじゃん高級レジデンスが建ち、街中が振動している感じだ。
実際、早朝からgrabバイクのブーンという音が聞こえてくる。
バンコクはもう少し落ち着いた印象で(都市交通も発達しているから音も静か)、チェンマイと言ったら、あの快適な気候とスピリチュアルな雰囲気に心を鷲掴みされてしまったように感じる。
タイでは、寺が多く僧侶を見かける事も多いからなのか、歩行者を見ると車の方が止まる。これは、歩行者用信号のわたる時間がめちゃめちゃ短いうえに、横断報道側が青でもバイクが飛んでくるベトナムとは、違う点だった。
これくらいしか、比較すると思い浮かばない。
寺は、ぴかぴかしている南方仏教建築で、日本人の私からすると馴染みはないのだけれど。
実は、南方仏教は個人的修行重視(ドイステープの瞑想センターでは実際に、瞑想はindividualな実践であると説明された)で戒律も結構厳しいのだが、北方仏教の禅宗の修行のほうが厳しそうな第一印象を受けるのは、気のせいだろうか。
でも、誤解を恐れず言えば、北方仏教は「(皆が入れる)大きな乗りもの=大乗」と自称し、誰でも悟れると他力を認め、何でもあり(念仏唱えるだけとか)、のようないい加減さも持つ。
そこが良いところでもあるのだが。
三蔵法師が命をかけてインドまで旅して取ってきた「般若心経」は、短いけれど量子力学的な、抽象的な概念を持つ高度な教えだと、常々感じ入る。
本来、思考や感情、認識や物質の有無も相対的なもので実体はなく、それら全てを空と呼ぶ。
これって、宇宙の事ではないか。
だから、何でもありなのだけど。
観自在菩薩が仏弟子の舎利子に説明しているという形式なのも、面白い設定だと思うし、これが大乗仏教の宗派を超えた基本経典なのも、スゴイ事だ。
でも、これが仏教を堕落させたと思う人もいて、南方仏教に改宗する日本人の僧侶もいる。
日本では、南方仏教と北方仏教が初めて出会ったのはごく最近で、マインドフルネスが南方仏教の修行法を基にしていることから、私のように興味を持つ人も増えている。
話がそれたが、それでもタイは、寛容で微笑みの国。
不思議な魅力を持つ国だ。